最近よく思うのは、資産が大きくなるということは、そのぶん使う機会を失ってきたのではないか?という問いだ。
と同時に、資産があることで得られる心の安寧は何ものにも代えがたい。
お金があるから人生が豊かになるのではなく、何があっても大丈夫だと思える状態が、日々のストレスを大きく減らしてくれる。
浪費型の人にはなかなか伝わりにくいだろうが、現代の日本においては「億」は贅沢ではなく、むしろ自立の最低ライン。
老後は30年続き、物価は上がり、社会保障は縮む。
1億円など、あっという間に目減りする(4%ルールをしていれば別だが)。
自営業のように制度の外側で生きる人間は、自分の資産でリスクを負うしかない。だからこそ資産形成は単なる「貯める行為」ではなく、リスクを肩代わりしてくれる構造を作る行為。
よく言われる「貯めすぎて使えなくなる」という言説。だが、これは本質的ではない。
資産を築くとは、お金を使わないことではなく、お金に働かせる仕組みをつくることだ。使うか貯めるか、ではなく、生かせているかどうか。
億の資産とは、贅沢の象徴ではなく、他人に支配されず、自分の意思で生きるための自由の装置といえるだろう。
もちろん「どうせ死んだら関係ない」と割り切る人もいるだろう。子や孫に引き継がれ、いっときあっても目減りしていくのが資産というものだ。
だが働けなくなったときの生活、病気や介護の不安を思えば、それを補うための資産があることは、やはり強い安心につながる。
日本では、年金だけで暮らすことはほぼ不可能。だからこそ、どんどん貯金が減っていく不安を抱えながら老後を過ごす人が多い。これは本当に不幸な構造。
対照的なのが北欧だ。老人はほとんど貯金をしない。だからこそ、必要なときに使い、経済が回る。
日本は逆で、老人がお金を溜め込むので消費が起きず、社会全体が停滞してしまう。
今さら制度ごと北欧型へ移行することは難しい。だからおれたちが考えるべきは、「1億円が必要かどうか」ではなく「どのような資産構造を築くか」。
いまどき1億円ぽっち?都市部に住めば、それはよく分かる。山手線沿線や内側では、1億円でもワンルームマンションが関の山だ。
どこに住むかで、必要な資産はまるで違う。
だからこそ、「億」という数字そのものに特別な意味を持たせる時代ではないのだ。
重要なのは、自分が不安なく暮らせるだけの構造をつくれるかどうか。資産を増やすためだけに人生を犠牲にする必要はない。
しかし、安心して生きるための備えもまた、欠かせない。
お金は貯めても減るし、持っていても不安は消えない。それでも、不安を和らげ、自由を広げてくれる道具であることは確かだ。
結局、「億で贅沢に暮らそうとは思わないし、思えない。でも安心感だけは得られる。」
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